努力していた頃の私は、ずっと「現実と戦っていた」
うまくいかない現実を見るたびに、
私はいつも同じ結論に辿り着いていました。
「もっと頑張らなきゃ」
「私の在り方がまだ足りない」
「何かを間違えているはず」
仕事も、人間関係も、感情の扱い方も、
すべてにおいて
“修正すべき自分”を探し続けていたんです。
宇宙の法則を学び始めてからも、
この癖はなくなりませんでした。
「波動は下がっていないか」
「ネガティブになっていないか」
「ちゃんと“正しい在り方”でいられているか」
一見、意識が高くなったようで、
実際にやっていたのは
自分への監視とダメ出しでした。
今振り返って分かるのは、
あの頃の私は
現実を良くしようとしていたのではなく、
現実と戦っていたということです。
今の現実はダメ
このままでは足りない
だから努力でねじ伏せよう
そんな前提で生きていたら、
心も体も、
ずっと力が入ったままになるのは当然でした。
努力していたつもりでした。
でも本当は、
・不足を見つける努力
・自分を変えようとする努力
・今の自分を否定し続ける努力
をしていただけだったのかもしれません。
この状態では、
どれだけ行動しても、
どれだけ学んでも、
「まだ足りない」
「もっとやらなきゃ」
という感覚が消えることはありません。
なぜなら、
スタート地点が“不足”だからです。
人生が重たく感じていた理由は、
才能がないからでも、
努力が足りないからでもなく、
ただひとつ。
ずっと、力を入れたまま生きていたからでした。
ここまでで、
「あ、私もそうかもしれない」
と感じたなら、
それだけでもう、
次のステージの入口に立っています。
脱力とは、何もしないことではなく「もう抗わない」と決めたこと
「脱力」と聞くと、
多くの人はこう思います。
頑張るのをやめること
諦めること
何もしなくなること
でも、私が体感した脱力は
そのどれでもありませんでした。
脱力とは、
現実に抵抗するのをやめた状態でした。
「今の自分はまだ足りない」
「この現実は間違っている」
「早く変えなきゃ」
こうした内側の力みを、
ひとつずつ手放していった感覚です。
具体的に言うと、
私はこんなことをやめました。
・正解の在り方を探し続けること
・感情をコントロールしようとすること
・うまくいかない理由を自分に押し付けること
すると、
不思議なくらい
心が静かになっていきました。
心が静かになると、
思考が減ります。
思考が減ると、
「どうしたらいいか」ではなく
「今、どう感じているか」に
自然と意識が戻ります。
ここが、
脱力が起きたサインでした。
何かを決意したわけでも、
大きな覚悟をしたわけでもありません。
ただ、
もう自分を正そうとしなくなった。
それだけでした。
すると行動も変わります。
無理な選択をしなくなる
違和感をごまかさなくなる
やらなくていいことに手を出さなくなる
結果的に、
行動は減ったのに
エネルギーは増えていきました。
宇宙の法則的に言うなら、
脱力とは
「こうならなきゃいけない私」を降ろして
本来の自分に戻ることです。
だから、
脱力は止まることではなく、
流れに戻ることでした。
もし今、
「楽に生きたいのに怖い」
と感じているなら、
それは怠けたいからではありません。
ずっと抗ってきた体が、
もう十分だと教えてくれているだけです。
脱力は、
未来を諦める選択ではありません。
戦うのをやめた瞬間に、
人生が動き始める余地が生まれる。
私は、それを体感したんです。
人生が動き出したのは、体が「ひらめく状態」になってからだった
脱力してしばらくしてから、
私の中で起きた一番大きな変化は、
体が、ひらめくようになったことでした。
考えて答えを出す、ではなく、
ふと浮かぶ。
勝手に湧く。
気づいたら、もう分かっている。
そんな感覚です。
例えば、
ストレッチをしているときに
突然、漢字が一文字浮かぶ。
理由は分からないけれど、
気になって調べてみる。
すると、
今の自分にぴったり重なる言葉や、
この先につながる人や情報に
出会ってしまう。
そんなことが、
何度も起きるようになりました。
この頃から、
答えを外に探すことが
明らかに減りました。
どうすればいいか
正解は何か
次は何を選ぶべきか
考えなくても、
内側から先に分かる。
湧水のように、
静かだけど、止まらない。
そんな感覚です。
そして、そのひらめきに
逆らわずに動いてみる。
すると、
不思議なくらい
「渡りに船」な出来事が続きました。
必要な人が現れ
情報が向こうから来て
タイミングよく話が進む
頑張って取りに行った感じは
一切ありません。
結果として、
人がつながり
物が動き
お金も、あとから付いてきました。
狙ったわけでも、
計画したわけでもありません。
ひらめき → 行動 → 流れに乗る
ただ、それだけでした。
今ならはっきり分かります。
人生が好転した理由は、
努力をやめたからではなく、
体が、本来の感覚を取り戻したからです。
考えすぎず
力まず
内側のサインが聞こえる状態
そこに戻っただけでした。
楽に生きるとは、
何もしないことではありません。
ひらめきが自然に湧く状態で生きること。
そこに入ると、
人生は押さなくても
勝手に流れ始めます。
これは
「うまくいった人の結果論」じゃなく、
再現可能な状態の話です。
なぜなら、
誰の中にも
この感覚は最初から備わっているから。
ただ、
力を抜くまで
使えなかっただけです。
