既にあるに気づくだけで、世界が変わる
こんにちは。森さわです。
今日は「既にある」というテーマについて、改めて考えてみたいと思います。以前に「既にあるに腑に落ちた」というタイトルでお話ししましたが、また新たな気づきがあったので、シェアしますね。
「既にある」って本当にあるの?
「既にある」という言葉を聞くと、「そうだよね、あるよね。でも、それで?」と感じる方も多いと思います。私自身も、最初はその感覚でした。この「既にある」という概念は、日常の中で意識することが難しい「死角」に存在しています。
当たり前のことって、実は気づかないことが多いものです。たとえば、おでこにかけたメガネを忘れて探してしまったり、鼻の先にある小さなホクロに気づかないように、見えているはずのものが見えていないことってありませんか?
見えていない「ある」に気づくために
だからこそ、「既にある」という感覚に気づかないことは、むしろ当たり前なんです。「自分は“ある”が見えていない、ダメだなぁ」と思う必要は全くありません。みんな同じように、見えにくいものがあるんですから。
そんな「既にある」に気づくための、簡単で効果的な方法があります。それが「体を見る」ことなんです。
体を見るとは?
「体を見る」とは、文字通り自分の体に目を向けることです。頭のてっぺんからつま先まで、1つ1つ確認してみるんです。
- 今日も頭が働いてくれている
- 目が見えている
- 耳が聞こえている
- 鼻が使えている
- 口を動かして食べ物を咀嚼できる
- 喉を使って話ができる
- 内臓がちゃんと働いている
こんな風に、指差し確認するように、体の機能を1つずつチェックしていきます。それが「既にある」に気づくための第一歩です。
体を見る習慣が変えるもの
この「体を見る」という方法は、私が一番早く体感できたものです。今でも続けていて、バスを待つ時間やスマホを見ている時間を少しだけ切り替えて、目を休めたり、耳を労わったりしています。
- 「目が見えてありがたい。だから目を休めよう」
- 「耳が聞こえてありがたい。だから自然の音に耳を傾けてみよう」
そんな風に、日々のルーティーンに取り入れるだけで、感謝の気持ちが自然と湧いてきます。
病気が教えてくれた「体への感謝」
なぜこの方法を始めたかというと、私が病気を経験したからなんです。腰痛とメニエール病で、体が動かず、目と耳が使えない時期がありました。
激痛で動けず、目や耳も使えない。それなのに、スマホも見れない状態が1ヶ月続いたんです。まるで昭和の時代に戻ったかのような感覚でした。
本を買いに行くこともできない、Amazonで注文することもできない。結局、家にある本やノートだけが、私の唯一の支えになったのです。
ノートが救ってくれた
その時、たまたま見つけたノートに、小林正観先生の言葉が書き残されていました。未来の自分が、その時の私に送ってくれたメッセージのように感じました。
スマホも見れない日々、そのノートを繰り返し声に出して読み、感謝の言葉を千回以上言い続けました。「ありがとう」「ツイテル」をひたすら繰り返すことで、体を少しずつ癒していったのです。
体に感謝することの大切さ
だからこそ、今私はこうして目が見えてキーボードを打てること、耳が聞こえて動画をアップできることに、感謝してもしきれません。「当たり前」ではなく、全てが「ありがたい」と感じるようになりました。
神様からのギフトとも言えるこの経験を通じて、「既にある」に気づくためには、体に感謝することが最も簡単で、深く腑に落ちる方法だと実感しています。
まとめ:既にあるものに感謝しよう
今日は、「既にある」に気づくために、体に感謝する方法についてお話しました。私たちの体は、日常の中で無意識に使っていますが、その働きを一つずつ確認して感謝することで、「既にある」を実感できます。
では、あなたの「既にある」は何でしょうか?ぜひ、指差し確認をしながら、今日から感謝の気持ちを育んでみてくださいね。