このままじゃいけない→このままでいい

全自動の法則

「このままじゃいけない」と思い続けた私

昔の自分の日記を読み返していたとき、ふと面白いことに気づいたんです。

宇宙の法則を実践し始めて、もう1年経っていたのに、
ページのあちこちにまだこう書いてある。

「このままじゃいけないんだよなー」
「とはいえさー、このままじゃダメじゃん?」

しかもそれは最初の頃だけじゃなくて、半年経っても、1年経っても同じ言葉が出てくる。
私は一体いつまで「このままじゃいけない」という“膜”をかぶっているんだろう?って笑ってしまいました。

まるで、見えない膜が頭の上からすっぽり覆いかぶさっていて、
そこから抜けられない――いや、正確には“抜ける”という選択肢を自分に与えていなかったんです。
「このままじゃダメ」を前提に生きることが、もはや“当たり前”になっていた。

今振り返れば、その頃の私は、自分に厳しかったんですよね。
もっと成長しなきゃ、もっと変わらなきゃ。
そんな思いで自分を追い立てていた。

でも、1年半くらい経ったころから、
日記に書かれる言葉が少しずつ変わっていきました。

「ありのままでいい」
「これも私の一部」
「かわいいじゃん」
「いつもありがとう」
「今まで生きてくれてありがとう。これからもよろしくね」

そう書いている自分を見て、心がじんわりあたたかくなったのを覚えています。

「このままじゃいけない」から
「このままでも大丈夫」へ。

私はようやく、長いあいだまとっていた“膜”を、少しずつ脱ぎ始めていたんです。

抜けられない“膜”の正体

あの頃の私は、どうしてあんなに長いあいだ「このままじゃいけない」と思い続けていたんだろう?

その答えを探していくうちに、ようやく気づいたんです。
あの“膜”は、私を苦しめるものではなく、私を守るために存在していたんだということに。

人は、まだ自分を完全に信じられないとき、
「変わらなきゃ」「もっと頑張らなきゃ」という言葉を使って、自分を動かそうとします。
それは悪いことではありません。
むしろ、「自分をもっとよくしたい」という純粋な願いの表れでもあるんです。

でもその言葉を何度も使っているうちに、
いつの間にか「今の自分を否定するクセ」になってしまう。
この“否定のクセ”こそが、膜の正体でした。

膜は、いわば**「自分への信頼がまだ育ちきっていない状態」**。
「このままじゃいけない」と言いながら、
ほんとは「このままでもいい」と心の奥で知っている。
だけど、そこに触れるのがちょっと怖い。
その“間”を守るように、膜があるんです。

だから、抜けられないことが悪いわけじゃない。
膜はあなたがまだ自分を責めずにいられるように、やさしく包んでくれている。
いわば、次のステージへ進むための準備室みたいなものなんです。

私も長いあいだ、「変わらなきゃ」を手放せずにいました。
でも今思えば、その期間こそが、心の筋肉をゆっくり育ててくれていた時間だった。
焦らず、比べず、「膜の中にも意味がある」と気づいた瞬間、
不思議と心が軽くなったんです。

“気づくこと”がすべてを変える

「このままじゃいけない」と思っているときって、
たいてい、外の世界をどうにかしようとしているときなんですよね。
状況を変えたい、人間関係をよくしたい、
もっと自由に、もっと豊かに――。

でも本当の変化は、
“何かを変えよう”とした瞬間ではなく、
「あ、私いま“このままじゃダメ”って思ってるんだ」
と気づいた瞬間から始まるんです。

気づく。
ただそれだけで、もうエネルギーは動き出しています。

ここがとても大事なポイント。
「気づいたからすぐに膜を破らなきゃ!」ではなくて、
「そっか、私いま膜の中にいるんだな」って、
そのことを静かに見つめるだけでいいんです。

多くの人は、すぐに“改善”や“成長”を求めます。
でも、宇宙の法則の世界では、
“気づき”そのものが変化
“行動”よりも先に、“意識”が変わることで、
現実がやさしく動いていくんです。

私自身も、
「このままじゃいけない」って思ってる自分に気づいたとき、
どこかホッとした感覚がありました。
「そっか、いまの私、頑張ってるだけなんだな」って。
そう思えた瞬間、
「このままじゃダメ」と言い続けていた声が、
少しずつ静かになっていったんです。

気づくことは、変えることよりずっとパワフル。
なぜなら、気づいた瞬間、あなたはもう“観察者”になっているから。
観察者になったあなたは、もうその古いループの外側に立っている。
それが、変化の最初の一歩なんです。

最高のタイミングで、自然に抜けていく

“膜”の中にいるとき、私たちはつい焦ってしまいます。
「早く抜けたい」「この状態を終わらせたい」
そう思うほど、現実がうまくいかなく感じたり、
自分だけ置いていかれたような気がしたりします。

でもね、焦らなくて大丈夫。
膜の外に出るタイミングは、
あなたの魂がいちばん美しく咲ける瞬間に、ちゃんと訪れるから。

たとえば花のつぼみが、
“今すぐ咲きたい!”と焦って自分でこじ開けたらどうなるでしょう。
花びらはまだやわらかく、風に負けてしまうかもしれない。
でも、陽の光と風と水を十分に感じたとき、
自然に花はひらいていきます。

私たちも同じなんです。
膜から出ようと「頑張る」必要はありません。
むしろ、「そのうち自然に抜けるんだろうな」と、
自分を信じていればそれでいい。

宇宙はいつも、完璧なタイミングで動いています。
その流れを信頼することが、いちばん早い変化の近道なんです。

そして面白いことに、
「もうこのままでもいいや」と心から思えたとき――
その瞬間に、膜はふっと消えているんです。

抜けたことにすら気づかないほど自然に、
あなたは新しい意識の世界に立っています。

私はそのとき、こう感じました。
「信じるって、“頑張って信じる”ことじゃないんだ」
「ただ、流れに身を委ねることなんだな」って。

信頼の中で生きるようになると、
何が起きても“間違い”じゃないと感じられるようになります。
それが、膜の外の世界。

“信じて疑わない”世界へ

膜の外に出ると、最初に感じるのは「静けさ」でした。
あれほど頭の中でぐるぐる回っていた
「このままじゃダメ」「もっと頑張らなきゃ」という声が、
気づけばまったく聞こえなくなっていたんです。

それどころか、代わりにこんな言葉が自然に浮かんでくるようになりました。

「まあ、いいじゃん。今のままで。」
「ちゃんと流れてるよ。」
「私、大丈夫だ。」

それは“ポジティブ思考”とも違う、
もっと深いところからくる安心感でした。
まるで、「信じて疑わない」という状態に、勝手になってしまったような感覚。

信頼って、努力して作るものではないんですよね。
「こうしよう」「信じよう」とするうちは、
まだ少し不安のエネルギーが混ざっています。

でも、本当に膜が消えると、
“信じる”という言葉すら必要なくなる。
もうそこには、ただ“あるがまま”の世界が広がっているだけなんです。

何かを叶えようとしなくても、
自然と流れに乗っていく。
人との関係も、お金の流れも、すべてがやさしく整っていく。
それは、外側を変えようとするエネルギーではなく、
「今の私で、もう大丈夫」という内側の安定が起点になっているからです。

私たちはいつも、“信じる側”と“信じられる自分”の両方を持っています。
だからこそ、どんなときも思い出してほしい。

「私は、私を信じて疑わない」

この言葉を心の奥で唱えるだけで、
宇宙とあなたの波動がぴたりと重なります。

その瞬間、世界はもう“安心のフィールド”へと切り替わっている。
そこに不安も不足も存在しない。
ただ、今ここに“完璧な私”がいるだけなんです。
きっとあなたはこう思うでしょう。

「とはいえダメかも」も、愛しい通過点

「とはいえさ、このままじゃダメなんじゃない?」
そんな声が心の中でふと聞こえるとき、
私たちはつい落ち込みます。

「また出てきた…」「もういい加減に手放したいのに」
そう思うかもしれません。

でもね、その“とはいえダメかも”という声も、
ちゃんとあなたを守ろうとしている優しいサインなんです。
不安になっているあなたを、
なんとか奮い立たせようとしてくれている。
それも、あなたの一部なんです。

だから、責めなくていい。
「とはいえダメかも」も、愛しい通過点。

「まだ信じきれない自分」も、
「もう信じられるようになった自分」も、
どちらも同じように尊いんです。

大切なのは、“どんな自分にも声をかけてあげること”。
「今日もちゃんと生きてるね」
「がんばってるね」
「泣いててもいいよ」
「いつもありがとう」

こうした小さな声がけが、
実は最高の自分への愛なんです。

膜から出ることがゴールではありません。
私たちは、その過程を味わうために地球に来たのです。

だから、焦らなくていい。
「とはいえダメかも」と思う日があっても、
いまこの瞬間のあなたが、すでに尊い存在です。

あなたという“相棒”と一緒に、
日々の中で少しずつ愛を育てていく。
泣いたり笑ったり、立ち止まったりしながら、
その一歩一歩を味わってください。

そしてある日ふと気づくんです。
あれ? もう「とはいえダメかも」って、
思わなくなってる。

そのとき、あなたは自然に膜の外に立っています。

見える世界は、あまりにもやさしくて、
あまりにもあたたかくて――
きっとあなたはこう思うでしょう。

「あぁ、“とはいえダメかも”の私も、ちゃんと愛だったんだな」