問題は「起きている」のではなく「見ている」

ネガティブ

問題は現実にあるのではなく「認識」にある

私たちはつい、
「問題が起きた」と思います。

仕事、人間関係、状況の変化。
でもよく見てみると、
現実に起きているのは
ただの出来事です。

たとえば、
メールの返信が来ない。
予定が少しずれる。
相手の態度が思っていたものと違う。

この時点では、
まだ「問題」は存在していません。

そこに
「うまくいっていない」
「何かがおかしい」
「このままではまずい」
という意味づけが加わった瞬間、
出来事は「問題」に変わります。

宇宙の法則や引き寄せで語られる
「現実は内側の反映」という考え方も、
脳科学で言われる
「認識したものを重要だと判断する仕組み」も、
本質は同じです。

私たちは、
見ている世界をそのまま受け取っているのではなく、
解釈した世界を現実として体験している

つまり、
問題が私たちを苦しめているのではなく、
問題として見ている認識が、
苦しさを生んでいる。

現実は、
敵でも味方でもありません。
ただ、そこにあるだけ。

その前提に立つだけで、
私たちは
「現実にやられている」という感覚から
一段、距離を取ることができます。

ここがまず、
今日いちばん大切な土台です。

なぜ人は「問題として見続けてしまう」のか

― 脳の自動運転とコントロール欲

問題があるように見えてしまうのは、
あなたの性格や考え方の癖のせいではありません。

脳の仕組みとして、
そう見えるようにできています。

脳は、生き延びるために
「不確かなもの」
「予測できないもの」
「うまくいっていない可能性」
を優先的に探します。

仕事で言えば、
まだ起きていない失敗や、
相手の反応、
先の結果を先回りして想像する。

それ自体は、
危険を避けるための自然な働きです。

ただ、ここで問題が起きます。

「どうにかしなきゃ」
「ちゃんとコントロールしなきゃ」
という意識が強くなるほど、
脳は
“問題を探すモード”に入り続ける。

すると、
本来はただの出来事だったものが、
次々と「気になる点」として浮かび上がり、
現実がずっと不安定に見えてしまいます。

引き寄せや鏡の法則で言われる
「意識を向けたものが現実化する」という話も、
ここにつながっています。

問題を解決しようとしているつもりでも、
実際には
問題を見る回路を使い続けている

だから、
現実はなかなか落ち着かない。

大切なのは、
「問題があるから不安になる」のではなく、
不安を前提に見ているから、問題が増えて見える
という順番です。

この仕組みを知っておくだけで、
自分を責める必要はなくなります。

次に必要なのは、
この自動運転から
どうやって降りるか。

それが、
次の「委ねる」という視点です。

視点を変える唯一の方法

「委ねる」という選択

問題は、
解決しようとしているあいだは、
ずっとそこに居座ります。

なぜなら、
「どうにかしなきゃ」
「コントロールしなきゃ」という意識そのものが、
問題を問題として
見続ける視点だからです。

委ねるというのは、
現実に従うことでも、
あきらめることでもありません。

「この先を、私が管理しなくてもいい」
そう決めること。

仕事で、
相手の反応や結果が気になって仕方がないとき。
頭の中ではずっと、
「どう動かそうか」
「どう言えばいいか」
「失敗しない方法は何か」
そんな思考が回り続けています。

この時点で、
現実はまだ何も起きていないのに、
心の中ではもう、
戦いが始まっている。

でも、ある瞬間に
「もう委ねよう」
そう意識を切り替えたとき。

——ふわぁーっと、溶けるんです。

さっきまで重たくのしかかっていた
「どうコントロールしようか…」という圧が、
一瞬でほどけて、なくなる。

相手を動かそうとするのをやめ、
結果を管理するのをやめ、
ただ「今できること」に戻る。

すると、
視野が一気に広がります。

「あ、大丈夫だ」
「超うまくいってる」
「そもそも、何の問題もなかった」

そんな感覚に、自然と入っていく。

現実は、何も変わっていません。
変わったのは、
現実をどう意味づけて見ているか

委ねた瞬間、
出来事は「問題」でも「悩み」でもなく、
ただの現象に戻ります。

そこには、
正解も不正解もありません。
うまくいくかどうかを
先に決める必要もない。

あるのは、
力みの抜けた、
完全なる自由。

問題は、
解決されたから消えたのではありません。

意味づけをやめた瞬間、
存在できなくなっただけ。

問題は「起きている」のではなく、
ずっと——
あなたが
そう見ていただけなんです。