気づいたら願いが叶ってた「今なり」が起こす神の采配

全自動の法則

タイミングも出会いも全部ピタリ!神展開を呼ぶ“今なり”の力

「今なり」とは何か?──お茶の「手なり」から学ぶ“流れに乗る感覚”

「今なり」という言葉は、私が日常で大切にしている感覚を表すために使っている造語です。

お茶のお稽古では「手なり(てなり)」という言葉があります。これは、“手が自然と動くままに任せる”という意味。形にとらわれず、余計な力を入れずに、体にしみついた流れにゆだねることで、美しく自然な所作が生まれるのです。

この「手なり」の感覚を、私は日々の暮らしや行動、そして願いの叶え方にも取り入れています。それが「今なり」です。

「今なり」は、今この瞬間の自分に素直になること
起きている出来事に抵抗せず、判断せず、ただ「今の自分はどう感じている?」に丁寧に耳を澄ます。

たとえば、何か予定していたことが急に変わったとき。以前なら「なんで今?」「困るんだけど」と思っていたことが、「ああ、これが流れなんだな」とスッと受け入れられるようになります。

これは頭で考えるのではなく、体と心の自然な反応に従うこと
すると、予定外の変化もなぜかうまく進み、むしろ予定通り以上の展開に驚かされることも多くなります。

「今なり」を生きるとは、無理をしないこと。
周囲の期待や過去のパターンではなく、「今の私が心地よいかどうか」を基準に選択すること。

そうして生きているうちに、自然と「全自動のフェーズ」に入っていきます。
自分が“流れそのもの”になっていく感覚。それは、誰かが決めた理想ではなく、自分だけの理想にピタリと導かれていく、至福の時間です。

「今」に委ねると全自動が起動する──神様のお膳立てに乗る方法

「今なり」の状態で一日をスタートすると、不思議なほどスムーズに物事が進むことがあります。

たとえば──
● 電車がちょうど良いタイミングで来る
● 会いたかった人にばったり出会う
● 行きたいと思っていた場所の予約が一瞬で取れる

こうした出来事は偶然ではなく、「今」に素直でいたときにだけ起こる、宇宙からのサインだと私は感じています。
これがいわゆる、「神様のお膳立て」なのです。

頭で計画を立てて動こうとすると、ズレたり、無理が生じたり、タイミングが合わなかったりします。
けれど、「今なり」で力を抜き、心地よさを選びながら流れに任せてみると、次にやるべきことが“用意されていたかのように”目の前に現れるのです。

これはまさに、“全自動”が作動しているサイン。

私たちはつい、頑張った結果として夢が叶うと信じがちですが、本当は**“流れに乗る”ことでスルスルと導かれる感覚のほうが、ずっと楽で、しかも早い**のです。

そしてこの「神様の段取り」は、頭で考えても読めません。
でも、「今」を信じて流れに乗っていれば、そのとき必要な人・言葉・チャンスが、ちゃんと現れます。

大事なのは、「こうなるはず」と決めつけないこと。
そして「こうならなかった」と嘆かないこと。
その代わりに、「今なり」で委ねていく。すると、思った以上の流れが“自然に”用意されていることに気づけるようになります。

思わず叶ってしまう仕組み──思わず、でも確かに「合っている道」

「今なり」で日々を過ごしていると、ある日ふと気づきます。

「あれ?思ったよりもずっと心地よく、望んでいた方向に来てる」
「気づいたら叶ってる。しかも、“思った以上”の形で」

不思議なのは、“叶えようと頑張った記憶”がないこと。
ただ、「今どうしたい?」「今どっちが気持ちいい?」と、自分の感覚に素直に従っていた結果──
まるでゴールが向こうから歩いてきたように、現実が整っていくのです。

これが「全自動のフェーズ」の最大の特徴です。
頑張っても叶わなかった夢が、力を抜いたとたん、スルリと動き出す。
なぜなら、頭でルートを決めず、「今なり」に任せたことで、“最高の導線”が宇宙側で自動生成されたからです。

このとき私たちは、「思い」をもっていない状態。
「叶えなきゃ」「こうならなきゃ」といった執着も、義務感も、評価への欲求もありません。
ただ、今にいる。ただ、心地よくいる。
それだけで、必要なことが勝手に運ばれてくるのです。

そしてその展開は、あとから振り返って「全部、完璧だった」とわかるようになっています。

たとえば、

  • あの予定変更がなかったら出会えなかった人

  • あの遅延がなかったら気づけなかった自分の本音

  • あの静かな時間があったからこそ浮かんできたアイデア

どれも、自分がコントロールしようとしなかったからこそ起こった出来事ばかりです。

だからこそ、「これでよかったんだな」と確信が湧いてくる。
「この道で合ってたんだな」と、安心感と共に腑に落ちる。

夢を叶えるとは、無理に何かを“取りに行くこと”ではなく、“自然と訪れるものを迎えにいく旅”なのかもしれません。

そのための方法が、「今なり」。
そして、その状態こそが、夢への一番自然で確実な近道となるのです。