起きている現象と「今のあなた」を同化させない
私たちは、ともすれば
目の前で起きている現象=今の自分
として捉えてしまいます。
うまくいっていない現実を見ると、
「私はダメなんだ」
「やっぱり私はこういう人間なんだ」
と、無意識に同化してしまう。
でも、起きている現象と今のあなたは別物です。
全く別に考える必要があります。
ここを切り分けないままでいると、
現象に振り回される
その中に浸かる
沼って疲れる
悩み続ける
というサイクルに入ります。
これは現象が悪いからではなく、同化しているからです。
現象と自分を「同一視」してしまうと、
現象が揺れれば、感情も揺れ、
現象が重たければ、人生そのものが重たくなる。
だから私は、まずここをはっきりさせます。
起きている現象と、今の私は別。
現象はあくまで現象。
あなた自身ではありません。
この切り分けができると、
現象に対して「巻き込まれる」感覚が薄れていきます。
振り回されるかわいそうな私、ではなく、
現象を一歩引いて見ている私に戻れる。
宇宙の法則は、
「現象の中でもがくこと」を求めていません。
まずは同化をやめること。
それだけで、心は驚くほど静かになります。
ググるほど沼る理由──地球の法則と宇宙の問いの違い
現象が起きると、
人は「答え」を外に探しに行きます。
検索する。
誰かの体験談を読む。
正解らしきものを集める。
でも、ググればググるほど、地球の法則に沼ります。
それは当然で、
検索で出てくるのは
「何が起きたか」
「どう対処するか」
「どうすれば回避できるか」
という、現象ベースの答えだからです。
宇宙の法則は、そこを見ていません。
起きている現象がどうであれ、
私がいつも立てる問いは一つです。
「神様は、何を言わんとしてる?」
この問いを立てると、
視点が一気に内側へ戻ります。
現象を分析するのではなく、
現象を通して
「今、何を見てほしい?」
「どの感情に気づいてほしい?」
と、問いの向きが変わる。
そして私は、こう答えながら、
ひたすら自分の中を見ていきます。
「なるほどねー。
そうやって感情を見てねって言ってるねー。」
「そうかー。
そのくらい大事だから、
私の中で大事になったのねー。」
正解を探すのではなく、
意味を受け取る。
外の情報を増やすのではなく、
内側の感覚を感じきる。
このプロセスに入ると、
現象に対する必死さが消えていきます。
なぜなら、
現象はもう「敵」でも「問題」でもなく、
メッセージになるから。
地球の法則は、
「現象をどうにかする」視点。
宇宙の法則は、
「現象を通して、何に気づくか」という視点。
ここを取り違えると、
人は永遠に答えを探し続けます。
でも問いを変えた瞬間、
沼から抜けて、
静かに軸へ戻っていく。
それが、宇宙の法則の入り口です。
現象とは無関係に、今の自分を楽しませる技術…それが最大の自己愛
宇宙の法則の軌道に乗っている人は、
現象が整ってから楽しもうとはしません。
現象とはまったく別に、
今の自分を楽しませる工夫をたくさん持っています。
私自身がやっていることを例にあげると、とてもシンプルです。
私は、タイピングが好き。
だから、パソコンを前に座って、ひたすら打っていく。
その前に、頭の中でこれを整理します。
「今の現象は、これ。」
「でも、それとは全く別に、
今すぐできる、私がたのしくなることは、これ。」
「今日、今できることは、これとこれ。」
「じゃあ、それをするために、
今から準備するぞ。」
現象はちゃんと把握する。
でも、そこに浸からない。
現象と自分のご機嫌を、完全に切り分ける。
これができると、
現実に抵抗しなくなります。
無理に変えようとしない。
押し切ろうとしない。
それでも、自分はちゃんと満たしている。
これは現実逃避ではありません。
自分を放置しない、という選択です。
自分が何をしている時が一番楽しいのかを知っていて、
今すぐできることを用意していて、
それをするために準備までしてあげる。
これは、自分に対する最大の愛です。
そして、ここが一番大事なところ。
この愛をかけることで、
必ず、現実は変わるんです。
これは願えば叶う、という話ではありません。
ポジティブでいれば大丈夫、という話でもない。
自分を後回しにするのをやめ、
自分を楽しませ、
自分を大事に扱い続ける。
その在り方そのものが、
宇宙の法則の軌道にピタッと乗る。
だから、
現象を無理に動かさなくても、
現象のほうが、あとから動き出す。
そして人は、こう言います。
「奇跡が起きた。」
でもそれは、
突然起きた奇跡ではありません。
自分に愛をかけ続けた結果として、
必然的に起きた現実です。
奇跡は、特別な人に起きるものじゃない。
現象より先に、
自分を楽しませる選択をした人に、
必ず起こります。
