最初に感じた“感覚”があなた
私たちは何か出来事が起きたとき、無意識に「考える」ことから始めてしまいます。
でも本当は、その前にすでに起きているものがあります。
それが――最初の感覚です。
たとえば、パートナーに何かを言われた瞬間。
「悲しい」
「寂しい」
「怖い」
「傷ついた」
この“言葉になる前の感覚”こそが、あなたそのものです。
ここには評価も解釈もありません。
正しいも間違いもなく、ただ自然に湧き上がったもの。
つまり、「いま何を感じたか」という一点において、あなたはブレていないし、間違っていないんです。
どんどん降ってくる言葉
この感覚を感じ切る前に、私たちはすぐ次のレイヤーへ移動してしまいます。
「なんで言い返さなかったの?」
「この先どうするの?」
「こんな人選んだ自分がおかしいんじゃない?」
こうして、言葉がどんどん上書きされていく。
ここで大事なのは――
最初の感覚と、そのあとの言葉はまったく別物だということ。
最初の感覚は自然に立ち上がったもの。
そのあとに続くものは、記憶や思い込みから組み立てられたものです。
これを混ぜると、自分を見失う。
ただ「悲しかった」だけなのに、気づけば
「責められている自分」や「ダメな自分」という物語の中に入り込んでしまうからです。
エゴは「ストーリー」を作る
最初の感覚のあとに、間髪入れずに立ち上がってくるもう一つの声。
それがエゴです。
エゴは悪いものではありません。
あなたを守ろうとする、とても優秀な機能です。
ただし、やり方が少し過剰です。
「悲しい」と感じたあと、それをそのままにしておけない。
不安定だから、すぐに意味づけを始めます。
「相手がおかしいんじゃない?」
「ちゃんと対処しないとダメでしょ」
「このままで大丈夫?」
一見もっともらしい。
でもここで起きているのは、“感覚からの逸脱”です。
本来、感情は感じ切れば自然に消えていくもの。
でもエゴは、それを止めてしまう。
理由をつけ、意味を与え、問題として延長させていく。
その結果、ひとつの出来事が“人生の問題”にまで膨らんでいくんです。
エゴの祭りに巻き込まれるとどうなるか
最初は「悲しい」だけだったものが、
・怒り
・不安
・自己否定
・相手へのジャッジ
といった二次的な反応に変わっていく。
さらに過去の出来事を引っ張り出し、
未来の不安まで作り出していく。
こうして、思考は止まらなくなる。
これが“エゴの祭り”です。
厄介なのは、どれも正しそうに見えること。
だから気づかないまま飲み込まれていく。
でも、ここで一度立ち止まる。
最初に起きていたものは何だったのか。
――ただ「悲しい」それだけです。
エゴから自由になる!「自分の感覚の戻る」ということ
ここでやることは、難しいことではありません。
むしろ、とても具体的で、再現性があります。
まず――
ストーリーが始まった瞬間に、気づくこと。
「あ、きたな」
「はい、ストーリー始まりました」
ここを見逃さない。
これができるだけで、すでに一段上に立っています。
次にやることは、分離です。
頭の中でどれだけリアルに展開されていても、
それを“自分そのもの”にしない。
「これ、私じゃない」
「これ、エゴのストーリー」
とはっきり線を引く。
ここが曖昧だと、また飲み込まれる。
そして、そのまま続けさせないこと。
これがすごく大事です。
エゴは、とにかく“続けたい”んです。
広げたいし、深めたいし、重くしたい。
だからこそ、ここで一言でいい。
「はいはい、ストーリーえぐいよね」
「わかるよ、そうやって私の中から出てきた感じにするよね」
「でもそれ、違うから。エゴだから」
ここまで言えたら、もう十分です。
そして、戻る。
「私は、ただ悲しいって感じただけ」
「その悲しみは、もうちゃんと感じた」
ここに戻る。
するとどうなるか。
それ以上、広がらないんです。
今までなら、何時間も、何日も引きずっていたものが、
すっと終わる。
ここで面白いことが起きます。
こういう“分離と遮断”を繰り返していくと、
脳の中のフィルター――いわゆるRASの働きが変わっていく。
今までは、重いストーリーを拾ってきていたのに、
だんだんと、それを重要視しなくなる。
結果として、
あんなにドロドロしていた思考が、
さらっと流れていくようになる。
同じような出来事が起きても、
引っかからない。残らない。
ここまで来ると、もう感覚的にわかるはずです。
「あ、私いま分離できてるな」
って。
エゴは消えません。
でも、絡まらなくなる。
これが本質的な変化です。
そしてこの状態になると――
とにかく、軽い。
余計なことにエネルギーを使わないから、
“今ここ”にちゃんといられる。
考え続ける人生から、
感じて終わる人生へ。
この違いは、想像以上に大きいです。
自分を整えるって、何かを足すことじゃない。
余計なものを見抜いて、手放せるようになること。
その積み重ねが、
結果として「楽に生きている状態」をつくっていきます。
